小学五年生の時、学校の天井裏から将棋の盤と駒が偶然発見されクラスの男子の中で将棋ブームが私の周りで起きました。私は、それまで将棋と言えばマワリ将棋、ヤマ崩し、ハサミ将棋、ジントリ(正解かな?)将棋しかやった事がありませんでした。本将棋のルールは愚か将棋の駒の動かし方も分かりませんでした。私のクラスの大抵が本将棋のルールを知っていたので皆でワイワイ楽しくやっているのを見ると、うらやましくなり自分も覚えたくなりました。それで家に帰って父に将棋の事を聞いて見ました。駒の動かし方と本将棋の指し方を知っているか尋ねたところ、「何だ将棋のルール知らなかったのか?」と言われました。それから毎晩、父の晩酌の時に盤と駒を父の座っている脇に並べて色々と教えてもらいました。小学校5・6年の時の担任の先生がタマタマ将棋好きで、5年生の時はクラスの男子全員(20数名)が参加する将棋トーナメント戦を先生が、企画してくれました。何と上位入賞者には先生が自腹で文房具用品をくれてました。対局は授業の合間の休み時間や昼休みに、教室の後ろか廊下で指してました。盤が足りないので自宅で段ボール箱を切り取って、そこに定規でマジックを使って線を書いて作った物を持って行ってました。駒は地元のオモチャ屋さんで一番安い木の印刷駒を買って持って行きました。毎日学校に行くのが楽しかったです。(小学四年生までは学校に行くのがそれ程楽しくなかった記憶を持っております)。因みに学校の成績は真ん中位の普通の成績でした。頭がとんでもなく良い訳でもなく、運動神経も特段優れている訳でもなかった、ごく目立たない普通の子供でした。何をやっても長続きしなかったのに将棋だけは、飽きないで続けてやることが出来ました。その年のクラスのトーナメント戦は、覚え立ての年でありましたが上位入賞する事が出来ました!次の年、六年生になったら先生が今度は総当たりのリーグ戦をクラスの男子で戦う企画を立ててくれました。私が今でも凄いな~と思っている事は、クラス全員の男子が本将棋を出来た事です。平成令和の時代では絶対あり得ない事だと思います。ホントに凄かった!です。このリーグ戦は全員とぶつかるので20数局指さなくてはならなく、将棋を指してない友達を見つけては、合い言葉は「指すべ」でした。空いている場所を見つけては、ありとあらゆる所で指してました。その時の女子の目は、当然シロイ目で見ていました。確か全部の組合せが終わったのが、冬の寒い時期まで掛かった記憶があります。何故なら冬になると教室の前にあるストーブの上で給食の牛乳ビンを暖めますが、その周りで将棋の結果を皆で話していた事を覚えています。それで結果、三位くらいに入った事を記憶してます。先生からの自腹景品である文房具用品をもらった気がします。当時エンピツ1ダースもらう(今は大した事でないかも)何て、物凄い事なので一位の人は飛び上がっていた気がします。当時エンピツ1ダースがプラスチックのケースに入っているのが欲しかったですが、家では買ってもらえなかったです。何で欲しかったと言うと、友達がその空きケースを筆箱代わりに使っているのを見てカッコいいなと思ったからです。私はプラケースのエンピツはもらえませんでしたが、何かしらの文具をもらったと思います。その事は覚えて無いです。ただ1位になった子から中身を取ったプラケースをもらった気がします。その友達が同じケースを何個か持っているので、いらないと言う事で譲ってもらいました。物凄く嬉しかったです!それと学校では将棋クラブに所属していたので、月に数回集まった時に他のクラスの子と指せるのが楽しかったです。何か今で言う、他の道場に出稽古に行くような感覚でワクワクしてたように覚えています。大変長くなってしまいましたので、次回は中学生以降について続きを書いて行きたいと思います。