喜将会

現在は詰めろ問題と将棋系YouTuber「そらさん」のチャンネルを主に紹介してます。 また手に入った将棋関連の本やグッズの紹介もしております。

将棋の経歴 3

前回は高校生までを紹介しましたので今回は学生時代を主に紹介したいと思います。私が行った学校は将棋部はなかったのですが将棋愛好会という名前で活動していました。他の部と同様に部室もチャンと与えられていて四畳半の畳敷きの部屋になってました。入学したら、この愛好会の存在を知ったので、すぐに門を叩きました。確か記憶によると二個上の先輩が三人いて部屋で将棋をやってました。その後、入部して気が付いたのですが、先輩の内一人が隣のギター部に所属している人でした。私の見立てでは、三人とも三段以上の実力はあるなと感じました。田舎モンで生意気な私は初対局の時、この先輩方にサンドバッグにあってしまいました。それでも先輩達は貴重な?新入部員と思ってかフレンドリーに接してくれました。私が一番驚いた(嫌だった)のが対局者以外の人がギターをジャンジャン弾いていることでした。当時アリスの「チャンピオン」とかを大声で歌いながらギターを弾いて対局の邪魔?をするのです(私以外の人は邪魔だと思ってない)。盤も一つしかなく確か五、六寸くらいの厚さの物がありました。チェスクロックは当時アナログのしかなく、今NHKトーナメントで使っている秒を読まない切れ負けにしか使えない物が1台とゼンマイ式の物が2台あった気がします。あと部屋の空調ですがエアコンは無く暑い時は窓を開けて対応し寒い時は小さい電気ストーブを付けますが、それでは部屋が暖まらないので、その電気ストーブの脇に水を入れる所があってスイッチを入れるとスチームが発生して部屋中が蒸気で白くなり更に湿度100%以上の湿気で体が温まります?。そして、その湿気で駒が盤から離れなくなりベタ付いたのを覚えております。練習将棋は、そんなに時計を使ってやりませんが私が対局する時は先輩がなるべく使いたがります。私が長考派でいつまでも考えてしまうのでイライラしてしまうみたいでした。私が長考するもんならギターを抱えてジャンジャンやり始めます。それによって更に思考回路が狂って悪手を指してしまいます。後輩である私も10回に1回くらいは「うるさいです!」と先輩に口答えしてました(でも怒られませんでした)。戦績は10回に2回勝てればいい方でした。先輩は三人とも棋風が全然違くて一人が居飛車振り飛車問わず固い囲いを作ったら「火の玉流」で攻めるタイプでした。もう一人は居飛車党で相居飛車戦は「ガンガン雁木」で、対振り飛車にも急戦から襲い掛かってくるタイプでした。因みに「雁木戦法」は当時、学生で流行ってて東大の金子さんや小暮さん等が多用して活躍してた記憶があります(間違ってたらすいません)。そしてもう一人が私が苦手にしていた人で「升田式石田流」の使い手でした。私は当時、振り飛車相手には「イビアナ」を多投していたので、当時の未熟な対策では対応出来なかった事を覚えています。次回は大会出場など、また色々と書かせてもらいます。