≪今流に修正した格言≫ 7
中合(ちゅうあ)いとは、飛角香の飛び道具で攻められた時に、何も駒の利きのない地点に駒を捨てて受けること。
詰みを逃れる時などは、大きい駒での中合いもまれにはある。
だが大抵は步の仕事であり、中合いの効果は詰みを逃れるほかに、大駒を近くに呼び、当てて受ける場合によく使われる。
もっとも持ち駒に步があっても、步のことなど考えたこともない人にとっては、一生使うことがない手筋かもしれない。
『目からウロコ!今どき将棋格言(創元社)による』
≪今流に修正した格言≫ 4
昔から「王手は追う手」と、ムダな王手を揶揄(やゆ)した格言はあるが、今流では分かりやすい格言に例えられる。
下手な将棋を指す人は、むやみに王手をかけ逃がしてしまう王手が目につく。
多くの王手は悪手ということを自覚していれば、自分が王手をかける時に気をつけるのではないだろうか。
もっとも悪いのが、「記念に一度は王手を」というもので、その記念が敗着になることがよくある。
『目からウロコ!今どき将棋格言(創元社)による』
私の地元の高校が県の団体戦の部で優勝した。将棋部は無いので将棋ができる三人が集まって出場し頑張ったんだろう。他の高校は名前を見ると県内でも偏差値が高い優秀な学校が参加しており将棋部もあるところが多い気がする。ここからは私の偏見や個人的見解なので読み流して結構だが、改めて思ったことは将棋は頭がいいとか勉強ができるとか記憶力がいいとか偏差値が高いとか、だから強いとか勝てるとは限らない。これは何もそういう子がみんなダメとか勝てないとかという意味ではないが、それだけでは勝てないのである。これは私の体験談だが中学生の時、同級生の頭がいい子と将棋を指した際に私は相手をボコボコにやっつけてしまったら相手が「将棋はバカでも勝てるんだよ」と私にノノシッテきたので、それ以降、頭のいい子や勉強ができる子と将棋を指す時は絶対負けないように頑張りました。自分の心の中では「将棋はバカでも勝てるんだよ」と思いながら・・。その後、周りの中では誰にも負けないくらい強くなったので、そこで初めて周りに認めてもらいましたが・・。
何も今回優勝した地元の高校生が「頭が悪い、勉強ができない、偏差値が低い」なんて事は思ってませんが、学校のレベルは県内では数値化されており大体の平均値は分かるので、その中での快挙だと私は思っております。
将棋とは、センスや感性や創造力にハングリー精神もなくては、本当の強さには繋がらないと思います。
今回、地元の高校の校門脇には全国大会出場祝として看板が設置され、将棋部が無いのにも関わらず三人の名前が連名で表示されておりました。学校からの粋な計らいに本人達も嬉しいやら恥ずかしかったでしょう。(三人が誰だか知りませんけど)
全国大会では、取り敢えず予選突破を目標に自分らしく自分らしい将棋を指してきてほしいですね。
因みにどんな将棋を指すのか分かりませんけどね・・😅
とにかく県大会優勝おめでとうございます、そして全国大会出場おめでとうございます🏆️
※私も一応この高校のOBです。スミマセン🙇
≪今流に修正した格言≫ 1
終盤で相手玉を寄せるのに、一段目に落とすと寄せやすくなる。
これまでこの格言は「玉は下段に」と言われてきたが、それだと分かりにくいと思う。
一段目はその先の逃げ道がない行き止まりで、例えば散歩中の犬が逃げた場合でも、行き止まりの路地に追えば捕まえやすくなるのと同じである。
いったん一段目に落としたら、そこから上げないのが寄せの鉄則。
終盤では、玉を上部に逃がすほど寄せにくくなると考えてよい。
『目からウロコ!今どき将棋格言(創元社)による』
≪目からウロコの新格言≫ 12
タダで取られることと、交換の違いが分かっていない人が意外と多い。
タダで取られるというのは、まったく代償がないケースと同時に、步としか交換できない場合もこれに当てはまる。
また、と金で取られ、もらう駒が步の場合も、タダで取られたという。
步の大切さを強調する格言も多いが、こと他の駒と步の交換は「タダ」ということは、しっかり覚えておかなければならない。
『目からウロコ!今どき将棋格言(創元社)による』
≪目からウロコの新格言≫ 8
この格言はどちらかというと、有段者むきの格言かもしれない。
相手陣の駒には、駒の種類に関係なくおいしい駒と、取ってもまずい駒がある。
たとえ飛車を取っても、まずい飛車というのはあるのだ。
これを見分けるのは難しいが、簡単にいうと、取った自分の駒が働いている時や自玉が安全になる時はおいしい駒。
働きの悪い方へ行かされたり、陣形が味悪くなる時はまずい駒で、例え駒得となってもまずい駒は取らないことが肝要といえる。
『目からウロコ!今どき将棋格言(創元社)による』
≪目からウロコの新格言≫ 7
指し方がわからない、また難しいと思ったら、自玉から遠い駒から使えという教えである。
前回、七掛(ななが)けの駒という考え方を示したが、玉の周りにいる金銀や桂香は、すぐに動かなくても玉を守っているという働きをしている。
したがって、相手が攻めてきた時に応戦すればよいのだが、玉から遠い駒、すなわち七掛けの駒は動かさないと、まったく働きのないまま終わってしまう。
玉から遠い銀桂香步のことを常に考えるということは、盤全体に目が行き届くということにもつながるわけなのだ。
『目からウロコ!今どき将棋格言(創元社)による』
≪目からウロコの新格言≫ 6
この格言は、中盤以降、持ち駒が少し増えてきても、1に在庫(盤上にある駒)、2に手形(2手かければ金になる持ち步)、そして最後に現金(持ち駒の金銀)を使うという順番で考えれば、攻めが切れてしまうことはないですよという教えだ。
この事がわかっている人は意外と少なく、実戦で遊び駒を使うような時にチャンスを平気で逃してしまっている人が多い。
この教えは、将棋の考えかたのなかで、もっとも重要な格言である。
『目からウロコ!今どき将棋格言(創元社)による』